嫁さん達の物語

 十八号清龍丸の漁労長である主人の元へ嫁いで25年になります。結婚と同時に船を新造し、その後義父から主人へと漁労長を引き継ぎ現在の18号清龍丸となり、当時を大変懐かしくも感じられます。

 嫁いだ当初は、右も左も分からず、何もかもが初めてのことだらけで、毎日が不安だらけでした。結婚にもかかわらず、主人が帰るのは3,4ヶ月に1度程度でしたので、大変寂しい思いをしたのもでした。また、当時私に出来ることと言えば、大漁の安全を祈ることだけだったような気がします。しかし、大漁を喜んだことや、主人をはじめ船員みんなが久しぶりに笑顔で帰ってくるのを見ることは、主人が毎日家に居ないことの不安が大きかった分、大変幸せに感じられました。

渡邉ゆかり 主人の大変さを考えると、見ていられない時もありましたが、私はそんな主人を尊敬し、私もしっかりしなければならないと自分自身を奮い立たせることも度々ありました。

 しかしながら、大変なことばかりではありません。たくさんの方に清龍丸のカツオを食べていただけること、「清龍丸のカツオはおいしい」と言っていただけることは主人の一番の幸せであり、もちろん船員のみんなや家族、そして私にとってもも大変喜ばしいことです。これからも清龍丸のカツオのおいしさをもっと多くの方へ伝えていきたいと考えています。

 2人の娘が誕生し、ひとりで子育てや家事に追われながらの生活は正直大変でしたが、離れている主人と励まし合い、支え合ったからこそ、今があると思っています。今では2人の娘も成人し、主人が帰ってくると共通の趣味であるゴルフを楽しむことも出来るようになりました。これからも主人と支え合って困難を乗り越え、十八号清龍丸の為に主人も私もより一層頑張っていきたいと思います。

十八号清龍丸・清龍水産有限会社
若女将(取締役)渡邉ゆかり


 商売人の娘だった私が、漁師の家に嫁いで早30年。初めて行った水揚げで交わされる言葉が、喧嘩しているかのように聞こえ怖かったものでした。しかし今ではすっかり慣れ、私も同じ口調に。町や漁協の人とも馴染み、どっぷり浜の母ちゃんをしています。
 
 2人の息子に恵まれ、父親役まで引き受けて頑張ってきた子育て、かなり厳しかったからでしょう、私のことを「鬼」とか「悪魔」と言います。でも、そのお陰で(!?)父親を「神様」「天使」と呼び、最大なる尊敬者であり、大好きな存在なのは大変喜ばしいことです。

浅野美智代 20年程前から、夫の両親と同居生活。4年前に他界した義父には、漁の事や船の経営について随分教えてもらいました。来客されたかたに「ご主人が嫁いでこられたのですか?」なんて言われることが度々あるのは、私を実の娘のように可愛がってくれるからだと感謝しています。

 私の仕事は主に浅野水産の経理業務です。また、船員さんの家族とのコミュニケーションも大事にしながら、船が操業している時は、様々な神社などへ「航海安全・大漁満足」を祈願参りしています。

 夫の口癖は、夫婦二人三脚。
大学を卒業して「俺、漁師になる!」と第五清龍丸へと乗船した二男を、後継者として育てつつ、これからも感謝し支え合って行こうと思います。

第五清龍丸・有限会社浅野水産
取締役 浅野美智代

嫁さん達の物語 宮崎県日南市南郷町のカツオ一本釣り漁船

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